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お城 人気ランキング

行きたい、または行ってみた人気の城郭ランキング あちこちのサイト様のランキングを参考に順位をつけたランキングです。参考にさせていただいた記事は15以上。読み方の難しいお城もあったので、ふりがなも付けてみました。 順位名前読み方...
戦国時代の逸話

山吹の花で歌の道に目覚めた太田道灌

江戸城を築いたことで有名な太田道灌は、歌人としても知られています。 しかし、歌を好むようになったのには理由がありました。 道灌が鷹狩をしていたときのこと、急に雨が降り始めました。 雨具の仕度が無かった一行は、狩りの途中で見かけた農...
2019.01.02
戦国時代の逸話

今川の桔梗笠と徳川の鹿の角

桶狭間の戦いにて敗死した今川義元には、氏真という嫡男がいました。しかし、氏真が当主を継いだ後、今川家は滅亡への一途を辿ることになります。 そんな氏真ですが、二人の勇猛な家臣を抱えていました。その名を城戸助之允と牧孫左衛門といいました。...
2019.01.02
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戦国時代の逸話

大谷吉継が友情を誓った日

1587(天正15)年、大阪城で開かれた茶会には豊臣諸将が多く招かれていました。 その中には、越前敦賀城主である大谷吉継の姿もありましたが、吉継がこういった催しに参加するのはとても珍しいことでした。 というのも、吉継は病のために顔の皮膚がた...
2019.01.02
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武田騎馬隊は本当に存在したのか

騎馬隊というと、鎧兜を身に着けた武士たちが見事な馬にまたがり、武将の号令で一斉に突撃していく。そんなシーンを思い浮かべる方が多いと思います。 しかし、この騎馬隊が本当に存在したのか疑問視されています。 騎馬隊が存在しなかったのではない...
2019.01.02
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川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか?

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。 川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。しかし、この一騎打ちが本当に行われ...
2018.05.25
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本能寺の変で信長が最初に謀反を疑った人物は

本能寺で宿泊していた織田信長が、謀反に気付いて最初に名前を挙げたのは意外な人物でした。 明け方午前4時頃に、急にあたりが騒がしくなり目を覚ました信長ですが、信長も小姓衆もこの喧噪を最初は下々の者の喧嘩と思っていました。しかし、...
2018.05.25
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武田信玄が精神を統一した意外な場所

武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一する場所が、なんとトイレでした。 トイレといっても私たち...
2018.05.25
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「しかみ像」は家康が三方ヶ原の戦い後に描かせたものではなかった

徳川家康が、死を覚悟した戦いの一つに武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いがあります。 室町幕府15代将軍・足利義昭の織田信長討伐令に応じた武田信玄が、遠江国・三河国に大規模な侵攻を開始し、浜松城にも攻めてくると危惧した家康は籠城戦に...
2018.05.25
日本の民話

女王のみが治めることのできた古代日本

古代の日本に君臨した女王卑弥呼の名前は誰もが知るところですが、この頃の資料は日本には残っていません。 中国の歴史書『魏書』中の『魏志倭人伝』という書に卑弥呼が治める倭国(日本)のことが記されています。 倭国は元々男王が治めていました...
2018.05.25
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海外にも認められた伊達男、伊達政宗

「伊達男」という言葉があります。派手な衣装を好む者、粋な者といった意味があり、伊達政宗が由来であるといわれていますが、それは誤りです。 もともと「男だて」という言葉があり、男らしく振舞うといった意味で使われていました。そして、男らしい男を...
2018.05.25
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黄金のドクロは盃ではなかった

1574(天正2)年の元旦でのこと。岐阜の稲葉山城では織田信長による盛大な年賀の酒宴が開かれていました。着実に勢力を広げている織田家の酒宴は大いに盛り上がり、信長もたいそう上機嫌でした。 宴もたけなわとなり内輪の宴となった頃、信長は近...
2018.05.25
日本の民話

死後千年以上続く平将門の怨念

東京都千代田区大手町に「将門塚(しょうもんづか)」と呼ばれる旧跡があります。通称「将門の首塚」と呼ばれるこの場所には、今も続く怨念の話があります。 940(天慶3)年、平将門は天慶の乱にて討ち死し、その首は遥か平安京まで運ばれ...
2018.05.25
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『暴れん坊将軍』徳川吉宗の黒い噂

身分を隠して悪を暴く将軍の活躍が人気の定番時代劇『暴れん坊将軍』。そこで主人公になっているのが八代将軍徳川吉宗ですが、実際もとても優秀な人物でした。 増税と倹約による幕府財政の安定化、新田開発による経済力の強化、市民の意見を聞くための...
2018.05.25
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ソロバンで加賀百万石、前田利家

加賀藩の藩祖で豊臣政権の五大老の一人である前田利家は、非常に勇猛な武将として知られています。 当時では珍しい182cmの長身を生かし、約6m30cmもある朱塗りの槍を振り回して先陣を切っていたというのですから、凄まじいものです。 織田信...
2018.05.25
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意外にマメな織田信長

織田信長といえば、短気で癇癪持ちで横柄というようなイメージがあります。 実際、癇癪をおこして家臣を斬り殺したという話が残っています。そんな信長ですが、意外にも客人に自ら食膳を運んだことがありました。 宣教師ルイス・フロイスが日本を訪...
2018.05.25
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真田幸村という名の武将はいなかった

真田幸村は大坂の陣で徳川家康を切腹寸前にまで追い詰め、「日本一の兵(つわもの)」として他大名からも高く評価された人物です。そして江戸時代には、娯楽作品に勇猛果敢な活躍が描かれ、庶民の人気を集めました。 ところが、真田幸村が周りから「幸...
2018.05.25
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明智光秀は「敵は本能寺にあり」と言わなかった

織田信長に反旗を翻した明智光秀が、自ら率いる軍勢に向かって「敵は本能寺にあり」と発し、それを鬨の声として大軍が本能寺に向かっていく。 創作物でよく見かける光景で史実だと思われていましたが、実は後に創作されたものでした。 光秀配下の武...
2018.05.25
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仙台城の通称が榴岡城になっていたかもしれない!?

仙台市郊外の青葉山にあることから通称「青葉城」と呼ばれている仙台城ですが、築城主の伊達政宗は実は他の場所に城をかまえたかったようです。 関ヶ原の戦いで東軍に味方し、領地を拡大することができた伊達政宗が自身の居城を建築しようと決めたのは...
2018.05.25
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上杉謙信は本当に塩を送ったのか

「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けてあげるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれてい...
2018.05.25