一条明里

逸話・名言

黒田如水が初めて知った茶の味

黒田如水(孝高)は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば断るところ...
人物

聖徳太子は本当はいなかった!?

聖徳太子といえば、多くのお札にその肖像が印刷されていたことで誰でも知っている人物でしょう。 推古天皇を補佐する役目の『摂政』という地位を与えられ、役人の能力に応じて地位を決める『冠位十二階』や役人の心得を示した『十七条憲法』を制定し、...
逸話・名言

細川幽斎が歌道を始めた理由

細川幽斎は若い頃、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜むものではないといって興味を示しませんでした。 ある戦いでのことです。 幽斎が敵を追っていくと、そこには乗り捨てた馬だけが残っていて人影がありませんでした。 も...
逸話・名言

米一粒も大切にする平将門

平安中期、関東一円を手にした平将門は自らを新皇と名乗り、東国の独立を朝廷に示唆しました。 この頃、武士たちは朝廷につくか将門につくか決めかねていました。 伊吹山の大ムカデ退治で有名な藤原秀郷もその一人でした。 ある日のこと、秀...
逸話・名言

瓢箪から駒を実演する伊達政宗

大坂冬の陣でのことです。 豊臣側との和睦が成立し、暇になった諸将たちは景品を持ち寄って香合わせをすることにしました。 香合わせとは、数種類の香木を焚き、その種類を当てる遊びのことです。 徳川方として参戦していた伊達政宗もこ...
逸話・名言

「子子子子子子子子子子子子」を読んだ小野篁

小野篁は、平安前期に「天下に並ぶものなし」と評された詩人です。書においても同様で、後世に書を習う者の手本になったほどだといいます。 そんな機知に富んだ篁の逸話です。 嵯峨天皇治世のころの話です。 内裏に「性無善」という落書きが...
芸術

「しかみ像」は家康が三方ヶ原の戦い後に描かせたものではなかった

徳川家康が、死を覚悟した戦いの一つに武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いがあります。 室町幕府15代将軍・足利義昭の織田信長討伐令に応じた武田信玄が、遠江国・三河国に大規模な侵攻を開始し、浜松城にも攻めてくると危惧した家康は籠城戦に...
逸話・名言

敵城にお泊り、伊達政宗

関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。 家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。 しかし、開戦が急に決まったため、大阪にいた政宗はわずか50騎ほどで仙...
逸話・名言

敵兵をあわれむ豊臣秀吉

豊臣秀吉は、人情の厚い武将でした。そんな一面を数々の逸話から見ることができます。 この話もその中の一つです。 織田信長の後継者問題で対立していた豊臣秀吉と柴田勝家による賤ケ岳の戦いでのことです。 余呉湖西岸で、佐久間盛政軍と秀...
合戦・戦争・事件

川中島の戦いが12年も続いたわけ

戦国時代に有名な合戦といえば、必ず挙がるのは川中島の戦いでしょう。 戦国屈指の猛者、武田信玄と上杉謙信の両雄による戦いは今聞いても心躍るものがあります。 しかし、この戦いは延べ12年も続いたのですが、信玄と謙信の戦いとはいえ、そ...
人物

『暴れん坊将軍』徳川吉宗の黒い噂

身分を隠して悪を暴く将軍の活躍が人気の定番時代劇『暴れん坊将軍』。そこで主人公になっているのが八代将軍徳川吉宗ですが、実際もとても優秀な人物でした。 増税と倹約による幕府財政の安定化、新田開発による経済力の強化、市民の意見を聞くための...
合戦・戦争・事件

武田騎馬隊は本当に存在したのか

騎馬隊というと、鎧兜を身に着けた武士たちが見事な馬にまたがり、武将の号令で一斉に突撃していく。そんなシーンを思い浮かべる方が多いと思います。 しかし、この騎馬隊が本当に存在したのか疑問視されています。 騎馬隊が存在しなかったのではな...
伝承・民話

死後千年以上続く平将門の怨念

東京都千代田区大手町に「将門塚(しょうもんづか)」と呼ばれる旧跡があります。通称「将門の首塚」と呼ばれるこの場所には、今も続く怨念の話があります。 940(天慶3)年、平将門は天慶の乱にて討ち死し、その首は遥か平安京まで運ばれ...
人物

黄金のドクロは盃ではなかった

1574(天正2)年の元旦でのこと。岐阜の稲葉山城では織田信長による盛大な年賀の酒宴が開かれていました。着実に勢力を広げている織田家の酒宴は大いに盛り上がり、信長もたいそう上機嫌でした。 宴もたけなわとなり内輪の宴となった頃、信長は近...
逸話・名言

源義経が敵に知られたくない秘密とは

源義経は、幼い頃に天狗を相手に修行を積んだという伝説を持ち、勇猛な武将としてその名を世間に轟かせていました。 しかし、そのイメージを守るために苦労していたようです。 1185(元暦2/寿永4)年の屋島の戦いでのこと。 ...
人物

上杉謙信は本当に塩を送ったのか

「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けてあげるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれてい...
逸話・名言

北条氏康は、幼い頃は臆病者だった!?

生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 北条氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。 さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。...
人物

毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった!?

毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。 病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。 長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいました。三人は難なくその矢...
人物

海外にも認められた伊達男、伊達政宗

「伊達男」という言葉があります。派手な衣装を好む者、粋な者といった意味があり、伊達政宗が由来であるといわれていますが、それは誤りです。 もともと「男だて」という言葉があり、男らしく振舞うといった意味で使われていました。そして、男らしい男を...
人物

武田信玄が精神を統一した意外な場所

武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一する場所が、なんとトイレでした。 トイレといっても私たち...