日本の話

逸話・名言

大谷吉継が友情を誓った日

1587(天正15)年、大阪城で開かれた茶会には豊臣諸将が多く招かれていました。 その中には、越前敦賀城主である大谷吉継の姿もありましたが、吉継がこういった催しに参加するのはとても珍しいことでした。 というのも、吉継は病のために顔の皮膚...
逸話・名言

今川の桔梗笠と徳川の鹿の角

桶狭間の戦いにて敗死した今川義元には、氏真という嫡男がいました。しかし、氏真が当主を継いだ後、今川家は滅亡への一途を辿ることになります。 そんな氏真ですが、二人の勇猛な家臣を抱えていました。その名を城戸助之允と牧孫左衛門といいました。...
逸話・名言

山吹の花で歌の道に目覚めた太田道灌

江戸城を築いたことで有名な太田道灌は、歌人としても知られています。 しかし、歌を好むようになったのには理由がありました。 道灌が鷹狩をしていたときのこと、急に雨が降り始めました。 雨具の仕度が無かった一行は、狩りの途中で見かけた農...
逸話・名言

畳を裏返して避難誘導路にした松平信綱

火事と喧嘩は江戸の華と言われるほど、江戸の町はよく火事に見舞われました。 特に、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火では、多くの大名屋敷を含む市街地の大半が焼失し、江戸城の天守閣も焼け落ちました。 その明暦の大火の折、江戸城...
逸話・名言

謙信に父の死を聞かれた景勝の答えは

上杉景勝の実父は、上杉謙信の義兄・長尾政景です。 政景と謙信は仲が悪く、上杉家の家督を巡って対立していました。 1564(永禄7)年、政景を生かしておくと憂いになると判断した謙信は、腹心である宇佐美定行に相談しました。 命を受けた...
伝承・民話

女王のみが治めることのできた古代日本

古代の日本に君臨した女王卑弥呼の名前は誰もが知るところですが、この頃の資料は日本には残っていません。 中国の歴史書『魏書』中の『魏志倭人伝』という書に卑弥呼が治める倭国(日本)のことが記されています。 倭国は元々男王が治めていました...
逸話・名言

安倍晴明幼少時の奇怪なクセ

稀代の陰陽師として有名な安倍晴明は、幼少のころから人と違うところがあったようです。 安倍晴明の父・安倍保名は、あるとき狩人に追われていた一匹の白狐を助けました。 それに恩義を感じた狐は美しい女性の姿に化け、保名のもとに現れました。身...
逸話・名言

城主を助けた美しき若武者の正体は

1600(慶長5)年7月、上杉討伐のために会津に向かっていた徳川家康は、途中の下野小山にて石田三成の挙兵を知り、直ちに小山評定を開いて今後の対応を協議しました。 交通の要所である安濃津城を確保するために、城主である富田信高と伊勢上野城...
逸話・名言

松茸狩りで上機嫌、豊臣秀吉

ある秋の日のこと、秀吉は松茸狩りに出掛けたいと家臣に告げました。 そこで家臣たちが山に下見に行きますと、松茸は民衆に採りつくされてほとんど残っていませんでした。 肝心の松茸が無いのでは松茸狩りができません。 家臣たちは大急ぎで...
逸話・名言

猛者だけど花押は丁寧、加藤清正

加藤清正が朝鮮に出兵していたときのことです。 清正は、同じように出兵してきている諸将とともに、秀吉に宛てて報告書を作成していました。 報告書の最後に署名をし、花押を添えました。 花押とは今でいうサインのようなもので、署名には花...
逸話・名言

黒田如水が初めて知った茶の味

黒田如水(孝高)は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば断るところ...
逸話・名言

細川幽斎が歌道を始めた理由

細川幽斎は若い頃、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜むものではないといって興味を示しませんでした。 ある戦いでのことです。 幽斎が敵を追っていくと、そこには乗り捨てた馬だけが残っていて人影がありませんでした。 も...
逸話・名言

米一粒も大切にする平将門

平安中期、関東一円を手にした平将門は自らを新皇と名乗り、東国の独立を朝廷に示唆しました。 この頃、武士たちは朝廷につくか将門につくか決めかねていました。 伊吹山の大ムカデ退治で有名な藤原秀郷もその一人でした。 ある日のこと、秀...
逸話・名言

瓢箪から駒を実演する伊達政宗

大坂冬の陣でのことです。 豊臣側との和睦が成立し、暇になった諸将たちは景品を持ち寄って香合わせをすることにしました。 香合わせとは、数種類の香木を焚き、その種類を当てる遊びのことです。 徳川方として参戦していた伊達政宗もこ...
逸話・名言

「子子子子子子子子子子子子」を読んだ小野篁

小野篁は、平安前期に「天下に並ぶものなし」と評された詩人です。書においても同様で、後世に書を習う者の手本になったほどだといいます。 そんな機知に富んだ篁の逸話です。 嵯峨天皇治世のころの話です。 内裏に「性無善」という落書きが...
逸話・名言

敵城にお泊り、伊達政宗

関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。 家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。 しかし、開戦が急に決まったため、大阪にいた政宗はわずか50騎ほどで仙...
逸話・名言

敵兵をあわれむ豊臣秀吉

豊臣秀吉は、人情の厚い武将でした。そんな一面を数々の逸話から見ることができます。 この話もその中の一つです。 織田信長の後継者問題で対立していた豊臣秀吉と柴田勝家による賤ケ岳の戦いでのことです。 余呉湖西岸で、佐久間盛政軍と秀...
伝承・民話

死後千年以上続く平将門の怨念

東京都千代田区大手町に「将門塚(しょうもんづか)」と呼ばれる旧跡があります。通称「将門の首塚」と呼ばれるこの場所には、今も続く怨念の話があります。 940(天慶3)年、平将門は天慶の乱にて討ち死し、その首は遥か平安京まで運ばれ...
逸話・名言

源義経が敵に知られたくない秘密とは

源義経は、幼い頃に天狗を相手に修行を積んだという伝説を持ち、勇猛な武将としてその名を世間に轟かせていました。 しかし、そのイメージを守るために苦労していたようです。 1185(元暦2/寿永4)年の屋島の戦いでのこと。 ...
逸話・名言

北条氏康は、幼い頃は臆病者だった!?

生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 北条氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。 さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。...