武田騎馬隊は本当に存在したのか

騎馬隊というと、鎧兜を身に着けた武士たちが見事な馬にまたがり、武将の号令で一斉に突撃していく。そんなシーンを思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、この騎馬隊が本当に存在したのか疑問視されています。

長篠の戦い騎馬隊が存在しなかったのではないかといわれる理由をいくつかあげてみます。

戦国最強の騎馬隊といわれた武田騎馬隊が、織田信長の鉄砲隊に大敗したとされる長篠の戦いを描いた屏風絵には、騎馬隊が描かれていません。
騎馬兵のそばには必ず歩兵が何人か付いていて、騎馬兵だけの隊というは無いようです。

当時はまだサラブレッドのような大型の馬は存在せず、在来馬の大きさは体高130センチ程度でした。
この馬に馬具を付け、さらに鎧兜をまとい刀や槍や鉄砲を持った人間が乗るわけですから、走り回れたかどうかも怪しいということです。

日本を訪れたルイス・フロイスやザビエルが、日本の騎馬兵は馬から降りて戦ったという記録を残していたといいます。
実際に馬防柵が設置されていたので騎馬兵が戦場にいたことは確かですが、主な役割は敵の追撃や逆に逃げる時に使われていたということです。

当時の合戦では武将の石高に応じて、歩兵を何人、騎馬兵を何人用意しろとの決まりがあり、その武将ごとに部隊が編成されていたので騎馬のみの隊というのは作れなかったということです。

以上のことから、騎馬隊はなかったのではないかといわれています。

しかし、屏風絵はあくまでも美術品として見る人が分かりやすいように変えられている可能性があります。
馬にしても古来から戦闘に利用していたのではないでしょうか。
部隊の編成も各武将から騎馬隊用として騎馬兵を集めればもちろん可能だと思います。

それに、長篠の戦いの前に徳川家康が家臣に送った手紙には、「馬が一筋に突入してくるから、柵を念入りに組み立てるように」といった内容が書かれていました。
家康が、武田の騎馬兵をとても警戒していたということです。

一人二人で突撃してくる騎馬兵をそこまで警戒するとは思えないので、武田には騎馬隊があったということではないでしょうか。
古くから馬の産地として名高い甲斐の国ですから、馬を使った戦術に長けていたのだと思います。

何十人もの騎馬兵で編成されたものではなかったとしても、武田には確かに騎馬隊が存在したのだと考えます。

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