女王のみが治めることのできた古代日本

古代の日本に君臨した女王卑弥呼の名前は誰もが知るところですが、この頃の資料は日本には残っていません。
中国の歴史書『魏書』中の『魏志倭人伝』という書に卑弥呼が治める倭国(日本)のことが記されています。

倭国は元々男王が治めていましたが、長い間闘争が絶えませんでした。
3世紀前期に一人の女子を王に共立したところ、ようやく争いは収まりました。女王の名は卑弥呼といい、弟が補佐して国を治めました。

邪馬台国とは、約30の国からなる倭国の都で卑弥呼が住居していた国です。

女性の身で国を治め続けることに限界を感じた卑弥呼は、中国に後ろ盾になってもらうことを考えました。
この頃の中国は、魏、呉、蜀という三国が対立しており、卑弥呼は魏に貢物を送りました。
魏は、第二代皇帝明帝の時代で、倭国からの使者を明帝は大変喜びました。

「遠い所からわざわざ来てくれたことを大変うれしく思う。これからもよく国を治め、よく尽くすように」

そして、『親魏倭王』の称号と金印を与えました。これにより卑弥呼は、中国皇帝の臣下である異民族の王となりました。

しばらく人々は平和に暮らしていましたが、あるとき、邪馬台国の南方にある卑弥弓呼(ひみここ)という男王が治めている狗奴国(くぬこく)が反乱を起こします。

卑弥呼はすぐに魏に応援を求めましたが、朝鮮でも動乱が起こっており、魏からの使者は足止めを食らってしまいました。

2年が経って、ようやく魏からの使者が卑弥呼の元に詔(みことのり)と軍旗を届けました。
狗奴国は沈黙し動乱は収まりましたが、この直後に卑弥呼は亡くなってしまいます。

新たに男王が立ちましたが、国は混乱し、多くの死者が出ました。

そこで、壱与(いよ)という13歳の少女が王に立ったところ、混乱は収まりました。
そして、壱与も魏に貢物を送りました。

『魏志倭人伝』に記されている倭国の記述はここまでなのですが、この後の150年間は中国の書にも記述がなく、空白の150年といわれています。

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