畳を裏返して避難誘導路にした松平信綱

火事と喧嘩は江戸の華と言われるほど、江戸の町はよく火事に見舞われました。

特に、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火では、多くの大名屋敷を含む市街地の大半が焼失し、江戸城の天守閣も焼け落ちました。

その明暦の大火の折、江戸城内は大変な騒ぎになっていました。
当時は防火設備というものがほとんど無く、火が付けばすぐに延焼してしまいます。
火に巻かれる前に逃げようと右往左往する人々で溢れかえっていました。

その中でも一番大変なのは大奥です。
城の奥に位置する大奥では表の様子が分からず、どうしていいか分からない女中たちが大騒ぎしていました。

それを見かねた老中の松平信綱は、多くの家臣に命じ、西の丸から大奥までの道筋の畳一畳を裏返しにさせました。
そして、大奥の女中たちに告げました。

「将軍家綱殿は西の丸に避難された。諸道具は捨て置き、裏返した畳を目印に退出されよ」

こうして、多くの女中たちはみな、無事に非難することができたということです。

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