呪いで天守が傾いた松本城

松本城

烏城という別名で親しまれている長野県松本市にある松本城ですが、天守が大きく傾いていたことがありました。
その原因というのが・・・

1686年(貞享3)、水野忠直が城主だったときのことです。

ひどい不作が数年間続きました。
疲弊しきった農民に対し、藩は年貢の3割増しを命じました。これに怒った農民たちは多田加助という男を中心に大規模な一揆を起こします。

松本城の大手門前にまで迫る勢いの一揆に慌てた藩は、年貢の率を戻すことといくつかの要求を受け入れることを約束し、一揆は収束しました。
しかし、一旦聞き入れられた要望は1か月後に覆され、首謀者の加助と中心になった人たちが、はりつけの刑に処せられることになりました。

加助は刑場に集まっていた千人余の人々に「今後年貢は5分摺2斗5升だ」と叫び、松本城の天守を睨みつけました。その瞬間、大きな地響きとともに天守が傾いたといいます。

その後、何度改修工事を行っても天守の傾きが直ることはありませんでした。

松本城の天守は、明治の大改修工事が行われるまで南西方向に大きく傾いていました。

実際のところは、『呪い』のせいではなく、低湿地帯に建てられた天守を支える支柱が腐り傾いていたそうです。
この伝説は、天守が傾き始めた明治になってから作られたものです。

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