毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった!?

毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。

病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。
長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいました。三人は難なくその矢を折りました。すると今度は、三本の矢を束ねて渡し、また折るように命じました。しかしこれは、誰一人折ることができませんでした。

そこで元就は、「一本の矢は弱く簡単に折れるが、三本束になれば容易く折れることはなくなる。毛利家も同じことだ。三人で力を合わせて守っていってほしい」と告げました。息子たちは、必ずこの教えを守っていくことを誓い合ったといいます。

以前から伝えられているこの話ですが、実話ではないようです。

枕元に呼んだ三人の息子のうち、隆元は元就が亡くなる8年前にすでに病死しており、元春も尼子軍との戦いで出雲国に出陣していました。
実際に元就を看取ったのは、隆景と隆元の子の輝元だったとされます。

とはいえ、まったくの作り話かというとそうではなく、隆元が存命中に元就が三人に送った教訓状の中にこう記されていました。
「いまさらいうまでもないことだが、三人の仲が少しでも悪くなれば、毛利家は滅びるであろう」

元春が吉川家、隆景が小早川家の養子にとそれぞれ別の家を継いだことで兄弟が疎遠になることを心配していたのでしょう。この教訓状が元となり、「三本の矢の教え」が伝えられるようになりました。

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