名古屋城の金のシャチホコは貯金箱!

日本三大名城として知られる名古屋城は、16世紀に今川氏親が尾張進出のために現在の二の丸付近に築いた城が起源とされています。

1532(天文元)年、織田信秀が奪って城主となり、『那古野城』と改名しました。信長はこの城で誕生したといわれています。

信秀から信長の居城となりましたが、信長が別の場所に居城を築いたため廃城となりました。のちに徳川家康が九男・義直のために那古野城跡地付近に築いた城がいまの名古屋城となります。

築城には西国を中心とした大名およそ20家が携わりましたが、西国の大名に築城させた狙いは、関ケ原の戦い以降も油断のならない豊臣系の大名の経済的圧迫のためと思われます。そのため、必要以上に贅沢に造られました。

その代表的な装飾が一対の金のシャチホコでしょう。
築城当時のシャチホコは、慶長大判1940枚分の金が使用されたとあり、これは220kgほどの純金に相当します。今の金相場で10億以上です。

しかしこのシャチホコ、藩が財政難になる度に降ろされては金を溶かして小判にされ、純度を落とした金で鋳直して戻されています。
しまいには、あまりにも純度を落としたために輝きが失われ、それを隠すために表向きは盗難防止や鳥避けのためとされる金網で覆われていました。

このシャチホコも1945(昭和20)年の名古屋大空襲で焼失し、1959(昭和31)年に大阪造幣局職員の手によって復元されました。
大きさは築城当時と変わらないものの、使用されている純金は88kgで当時の3分の1ほどになっています。

それでも天守に輝く一対の金のシャチホコは、今も昔も名古屋城の象徴として城下の人たちに愛されていることに変わりはないのでしょう。

スポンサーリンク