秀吉の妻を気遣う織田信長の手紙

戦国の世に名を轟かせた織田信長には、独裁的なイメージが強くあります。何万もの人を虐殺したり、女性のことも道具にしか思っていない冷酷無比な人間。そう思っている方もいることでしょう。しかし、次に紹介する信長の手紙には、優しさと心配りにあふれています。

年号も日付も書かれていないので、いつのものかはっきりしませんが、秀吉が近江の長浜城主になって間もない、1576(天正4)年頃のものだと思われます。

おほせのことく、こんとハこのちへはしめてこし、けさんニいり、しうちやくに候。ことにみやけ色〃うつくしさ、中〃めにもあまり、ふてにもつくしかたく候。しうきハかりに、このはうよりもなにやらんと思ひ候へハ、そのはうより見事なる物もたせ候あひた、へちに心さしなくのまゝ、まつ〃このたひハとゝめまいらせ候。かさねてまいりのときそれにしたかふへく候。なかんつく、それのみめふり、かたちまて、いつそやみまいらせ候折ふしよりハ、十の物廿ほともみあけ候。藤きちらうれん〃ふそくのむね申のよし、こん五たうたんくせ事候か。いつかたをあひたつね候とも、それさまほとのハ、又二たひかのはげねすみあひもとめかたきあひた。これよりいこハ、みもちをようくわいになし、いかにもかみさまなりにおも〃しく、りんきなとにたち入候てハ、しかるへからす候。たゝし、をんなのやくにて候あひた、申ものゝ申さぬなりにもてなし、しかるへく候。なをふんていに、はしハにはいけんこひねかふものなり。又々かしく。(朱印)

のふ

藤きちらう をんなとも

文意

そなたがおっしゃる通り、この度はこの地へ初めてやって来て、お目に掛かり、嬉しく思った。
特に土産物を色々といただきその美しさは、とても目にあまるほどで、筆にも書き尽くしがたく思う。
祝儀代わりに、こちらからも何かを差し上げようと思ったが、そちらからあまりに見事な物を持ってこられたので、特別にこころざしを示す手だてもなく、ともかくこのたびは品物を贈るのはやめておく。再びお出なされた時に今度のお返しをしよう。
とりわけ、そなたの容貌、容姿まで、いつぞや拝見したときよりも、十のものが二十ほども見上げたものに(倍ほども美しく)なっている。
藤吉郎がしきりにそなたのことを不満であると申しておるとのこと、言語道断けしからぬことではないか。
どこを尋ね廻っても、そなたほどの女性は、また二度とあの禿げ鼠には求めがたい。これから後は、立ち振る舞いに用心し、いかにも上様(正室)らしく重々しく、嫉妬などに陥ってはいけない。
とはいえ、女の役目でもあるので夫の女遊びを非難してもよいが、言うべき事をすべて言わないようにしてもてなすのがよかろう。
なおこの手紙を、羽柴に見せるようお願いする。

秀吉の妻おねが、お土産をたくさん持って安土城の信長を訪ね、そこで秀吉の愚痴をこぼして帰ったのでしょう。このことだけでも信長が一般のイメージと違い、人間味あふれた人物だということが分かります。会社の経営者に従業員の妻が旦那の悪口を言うようなものですから、冷たい雰囲気の人にはなかなか言えませんよね。

そして特筆すべきは、朱印が押されているということ。当時、朱印は公式文書にのみ押されていました。この手紙は、プライベートな内容ながら正式な公式文書、つまり命令文書なのです。

わざと公式文書の形をとって、おねを立て、そして信長の命令だから仕方ないと秀吉の顔も立てられるようにしたのでしょうか。
公式文書ゆえに自筆ではなく祐筆が書いたものだと思われますが、信長の優しい一面が見られる内容だということに変わりはありません。

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