信長に愛された「甥っ子」織田信澄

織田信澄の父は、織田信長の実弟・織田信行です。父は信長と家督を争い暗殺されますが、幼少の信澄は祖母の嘆願で命を助けられ、柴田勝家のもとで養育されました。その後、信長の家臣となり、側近として重用されます。

信澄は明智光秀の娘を正室に迎えていたため、光秀に信長を討たせた黒幕の一人だという説があります。
しかし、四国討伐軍の副将を務めていた信澄が黒幕であるならば、光秀の行動と合わせて大将の織田信孝を殺害し、軍をそのまま明智軍と合流させたでしょう。
ところが、本能寺の変の3日後、光秀との関係に疑念を抱いた信孝と丹波長秀に襲撃され討ち死にしました。

信澄には残酷な面もあり、罪人を馬に噛み殺させたという話が残っています。
宣教師のルイス・フロイスも信澄を「異常なほど残酷」と評していました。
しかし、「一段の逸物なり」と評した史料も残っており、冷徹ながらも行動力に富み優れた武将だったと思われます。

信長も自分に似た甥っ子が可愛かったらしく、手元に置いて帝王学を学ばせていました。
織田家では、信長の息子である信忠、信雄、信孝、信長の弟の信包に次いで待遇が厚く、京都御馬揃えの際にも御連枝衆の5番目に名前が挙がっており、信長の息子と同等の扱いを受けていたことが分かります。

最も信長に似ていたといわれる信澄が生きていたら、後の織田家も変わっていたかもしれません。

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