逸話・名言

信長に愛された「甥っ子」織田信澄

織田信澄の父は、織田信長の実弟・織田信行です。父は信長と家督を争い暗殺されますが、幼少の信澄は祖母の嘆願で命を助けられ、柴田勝家のもとで養育されました。その後、信長の家臣となり、側近として重用されます。 信澄は明智光秀の娘を正室に迎え...
逸話・名言

閻魔大王に手紙を書いた直江兼続

『愛』という字を前立にあしらった兜で有名な直江兼続ですが、「愛」とは程遠い逸話が残っています。 上杉氏の家臣に三宝寺勝蔵という者がおり、下人が罪を犯したので無礼討ちにしました。 するとその親族が、 「無礼討ちにされるほどの...
人物

本能寺の変で信長が最初に謀反を疑った人物は

本能寺で宿泊していた織田信長が、謀反に気付いて最初に名前を挙げたのは意外な人物でした。 明け方午前4時頃に、急にあたりが騒がしくなり目を覚ました信長ですが、信長も小姓衆もこの喧噪を最初は下々の者の喧嘩と思っていました。しかし、...
合戦・戦争・事件

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか?

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。 川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。しかし、この一騎打ちが本当に行われ...
建造物

仙台城の通称が榴岡城になっていたかもしれない!?

仙台市郊外の青葉山にあることから通称「青葉城」と呼ばれている仙台城ですが、築城主の伊達政宗は実は他の場所に城をかまえたかったようです。 関ヶ原の戦いで東軍に味方し、領地を拡大することができた伊達政宗が自身の居城を建築しようと決めたのは...
伝承・民話

呪いで天守が傾いた松本城

烏城という別名で親しまれている長野県松本市にある松本城ですが、天守が大きく傾いていたことがありました。 その原因というのが・・・ 1686年(貞享3)、水野忠直が城主だったときのことです。 ひどい不作が数年間続きました...
逸話・名言

朝倉の撤退に焦る武田信玄の手紙

武田信玄は、織田・徳川勢を追い詰めるために朝廷を始め、大阪本願寺・朝倉義景・足利義昭などと共に包囲網を展開しました。 しかし、朝倉義景が軍勢を近江から撤退させてしまい、包囲網は崩壊します。 以下は、野田城を陥落させた翌日の元亀4年(1...
人物

明智光秀は「敵は本能寺にあり」と言わなかった

織田信長に反旗を翻した明智光秀が、自ら率いる軍勢に向かって「敵は本能寺にあり」と発し、それを鬨の声として大軍が本能寺に向かっていく。 創作物でよく見かける光景で史実だと思われていましたが、実は後に創作されたものでした。 光秀配下の武...
人物

真田幸村という名の武将はいなかった

真田幸村は大坂の陣で徳川家康を切腹寸前にまで追い詰め、「日本一の兵(つわもの)」として他大名からも高く評価された人物です。そして江戸時代には、娯楽作品に勇猛果敢な活躍が描かれ、庶民の人気を集めました。 ところが、真田幸村が周りから「幸...
逸話・名言

秀吉の妻を気遣う織田信長の手紙

戦国の世に名を轟かせた織田信長には、独裁的なイメージが強くあります。何万もの人を虐殺したり、女性のことも道具にしか思っていない冷酷無比な人間。そう思っている方もいることでしょう。しかし、次に紹介する信長の手紙には、優しさと心配りにあふれてい...
日本刀

三日月宗近

みかづきむねちか 三日月宗近(みかづきむねちか)は、平安時代に作られたとされる日本刀(太刀)で、「鬼丸国綱」・「数珠丸恒次」・「童子切安綱」・「大典太光世」と並び「天下五剣」と呼ばれ、日本の国宝に指定されています。 ...
家紋

三つ葉葵

葵紋はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したものです。 葵は、京都にある加茂(賀茂)社の神草で、祭器の模様に付けられ神紋として扱われました。加茂社の神官が家紋として用い、賀茂神社の氏子や当社を信仰する家々の家紋として用いられるよう...
家紋

五七桐

桐紋は、桐の葉や花を図案化した家紋の総称で、桐花紋とも呼ばれています。 3本の直立する花序と3枚の葉から構成されているものが基本的図案ですが、多くの家に好まれて使われ、140種以上もの図案があります。 古代中国で、桐は鳳凰の止まる木...
家紋

北条鱗

三角形を複数並べて組み合わせる単純な連続文様はもともと古代からあるもので、その幾何学模様が魚や蛇の鱗に似ていることから「鱗」の名が付けられました。家紋としては、三角形一つの「一鱗」から九つを組み合わせた「九鱗」まで様々なバリエーションが...
家紋

二頭波

古代、波は何らかの力を受けた水が、波という形になって人の前に現されたものと考えられていました。その不思議さと形の優雅さに加え、波の進退する様子が用兵の術に適っているとして武士の家紋に用いられるようになります。 「二頭波」は、斎藤道...
家紋

竹に二羽飛び雀

竹・笹紋は細かくは、幹・筍を主とした「竹紋」、葉を主とした「笹紋」、竹や笹に雀を添えた「竹に雀紋」に分けられます。 真っ直ぐに天を目指す姿や雪にしなう姿から、たくましさ、美しさ、高潔などを意味するとされ、古来より文様として多く使用され...
家紋

赤鳥

今川家は足利将軍家の一門として、五七桐紋や二両引き紋を用いていますが、「赤鳥」という紋も用いていました。 今川了俊が記した『難太平記』には、自陣の笠印に悩んでいた今川範国が、あか鳥を付ければ良いという神託を受けて戦に勝利したので、...
家紋

武田菱

菱紋は、その名前からヒシの実またはヒシの葉を図案化したものといわれていますが、斜方形の文様は紀元前より見られ、その起源は定かではありません。のちにヒシを模した写実的な図案の「葉菱」「菱の実」紋も生まれましたが、植物の菱と菱紋とは本来無関...
家紋

織田木瓜

木瓜紋は、古代中国の文様を起源とし、その名前から胡瓜の切り口がもとになったと思われがちですが、本来は地上に巣を作る鳥類の巣を象ったものだといわれています。 神社の御簾の帽額(もこう)に多く使われた文様であったことから、もっこうと呼ばれ...
家紋

左三つ巴

「ともえ」の起りは、弓を引くときに左手の肘に巻き付け、腕を保護するための武具である鞆をかたどったものだとされています。 しかし他にも諸説あり、呪力をもつといわれる人間の魂の形、勾玉を図案化したもの、水が渦を巻く様子、蛇がとぐろを巻く様...