今川の桔梗笠と徳川の鹿の角

桶狭間の戦いにて敗死した今川義元には、氏真という嫡男がいました。しかし、氏真が当主を継いだ後、今川家は滅亡への一途を辿ることになります。

そんな氏真ですが、二人の勇猛な家臣を抱えていました。その名を城戸助之允と牧孫左衛門といいました。

特に助之允は、敵味方を問わず剛の者として名が知られ、桔梗紋の兜を着けていたことから『今川の桔梗笠』と呼ばれていました。
この桔梗笠を見ただけで敵兵は震えあがり、逃げ出したといわれています。

孫左衛門は『鉄孫左衛門』と呼ばれ、助之允に劣らない剛の者でしたが、早世してしまいました。
その後、家族は田舎へ移りひっそりと暮らしていましたが、孫左衛門の息子の宗治郎は、いつか自分も父のようになりたいと考え過ごしていました。

そんなとき、今川家から徳川討伐の命令が下りました。
宗治郎は奮い立ちました。牧家を再興するチャンスが回ってきたのです。
戦場へ向かう途中、宗治郎は助之允を訪ねました。

「今度の戦では何としても武功を上げ、牧家を再興したいのです。徳川の者に甘く見られないよう、どうか桔梗笠を貸していただけないでしょうか」

助之允はそれを聞いて感心し、快く兜を貸しました。

こうして桔梗笠を被り出陣した宗治郎でしたが、初めての戦場で戸惑っているところに、敵陣から猛烈な勢いでこちらに馬を走らせる人影を見つけました。
その影が近づくにつれ、兜に生える鹿の角が見て取れました。

『徳川の鹿の角』

それは徳川家の猛者、本多忠勝でした。
忠勝の持つ槍は、先に止まったトンボが真っ二つに切れてしまったという伝説を持つ『トンボ切り』。その槍を高く掲げ、こちらに突進してきます。
あまりの迫力にすくみ上る宗治郎ですが、何とか構えをとり迎え撃ちました。

しかし、忠勝は圧倒的に強く、あえなく宗治郎は組み敷かれました。
そして桔梗笠を取られ首を斬られる寸前、忠勝の手が止まりました。

「おぬしは誰だ?今川の桔梗笠ではないな。子供がなぜ桔梗笠を着けているのだ」

宗治郎は、まだ顔に幼さの残る少年でした。
顔を覗き込みながら怪訝な顔をする忠勝に、宗治郎は自分の身の上を話しました。

「なるほど、おぬしの志は分かった。その意気に免じここは引くことにしよう。何かあれば、この忠勝を頼るがいい」

そう言い残して、忠勝は戦塵に消えていきました。

この後間もなく今川家は没落し、宗治郎はこの時の約束を頼り本多家の門を叩きました。
以後、忠勝の信頼の厚い家臣として活躍するのでした。

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