戦国時代

ランキング

戦国武将 人気ランキング

戦国時代の人物 人気ランキング あちこちのサイト様のランキングを参考にさせていただいた戦国時代の人物の人気ランキングです。 参考にさせていただいた記事は30以上。時事のトレンドに流されないランキングになっています。 ランキング登場...
逸話・名言

大谷吉継が友情を誓った日

1587(天正15)年、大阪城で開かれた茶会には豊臣諸将が多く招かれていました。 その中には、越前敦賀城主である大谷吉継の姿もありましたが、吉継がこういった催しに参加するのはとても珍しいことでした。 というのも、吉継は病のために顔の皮膚...
逸話・名言

今川の桔梗笠と徳川の鹿の角

桶狭間の戦いにて敗死した今川義元には、氏真という嫡男がいました。しかし、氏真が当主を継いだ後、今川家は滅亡への一途を辿ることになります。 そんな氏真ですが、二人の勇猛な家臣を抱えていました。その名を城戸助之允と牧孫左衛門といいました。...
逸話・名言

山吹の花で歌の道に目覚めた太田道灌

江戸城を築いたことで有名な太田道灌は、歌人としても知られています。 しかし、歌を好むようになったのには理由がありました。 道灌が鷹狩をしていたときのこと、急に雨が降り始めました。 雨具の仕度が無かった一行は、狩りの途中で見かけた農...
人物

石川五右衛門が残酷な処刑をされた理由

豊臣秀吉の時代に出没した稀代の大泥棒・石川五右衛門の名は、多くの創作物が広まっているので知らない人はいないでしょう。 五右衛門に関する史料が少なく、その存在は疑問視されていましたが、スペインの貿易商ベルナルディーノ・デ・アビラ...
逸話・名言

謙信に父の死を聞かれた景勝の答えは

上杉景勝の実父は、上杉謙信の義兄・長尾政景です。 政景と謙信は仲が悪く、上杉家の家督を巡って対立していました。 1564(永禄7)年、政景を生かしておくと憂いになると判断した謙信は、腹心である宇佐美定行に相談しました。 命を受けた...
人物年表

北条氏康 年表

<ほうじょううじやす> 相模国の戦国大名で、後北条氏第3代目当主です。 侵攻してきた扇谷上杉氏を元服直後の初陣にもかかわらず大将として迎え撃ち大勝するなど、若い頃から武勇に優れた名将でした。 あらゆる戦いで決して引くこ...
逸話・名言

城主を助けた美しき若武者の正体は

1600(慶長5)年7月、上杉討伐のために会津に向かっていた徳川家康は、途中の下野小山にて石田三成の挙兵を知り、直ちに小山評定を開いて今後の対応を協議しました。 交通の要所である安濃津城を確保するために、城主である富田信高と伊勢上野城...
人物

お市の方は、信長の妹ではなかった!

お市の方は、織田信秀の五女で織田信長の13歳年下の妹です。近江の大名・浅井長政に嫁ぎ、政略結婚ながらも一男三女をもうける仲睦まじい夫婦だったといわれています。 夫の長政は信長と敵対したため攻められ自害し、後に嫁いだ柴田勝家は豊...
人物

意外にマメな織田信長

織田信長といえば、短気で癇癪持ちで横柄というようなイメージがあります。 実際、癇癪をおこして家臣を斬り殺したという話が残っています。そんな信長ですが、意外にも客人に自ら食膳を運んだことがありました。 宣教師ルイス・フロイスが日本を訪...
逸話・名言

松茸狩りで上機嫌、豊臣秀吉

ある秋の日のこと、秀吉は松茸狩りに出掛けたいと家臣に告げました。 そこで家臣たちが山に下見に行きますと、松茸は民衆に採りつくされてほとんど残っていませんでした。 肝心の松茸が無いのでは松茸狩りができません。 家臣たちは大急ぎで...
逸話・名言

猛者だけど花押は丁寧、加藤清正

加藤清正が朝鮮に出兵していたときのことです。 清正は、同じように出兵してきている諸将とともに、秀吉に宛てて報告書を作成していました。 報告書の最後に署名をし、花押を添えました。 花押とは今でいうサインのようなもので、署名には花...
人物

豊臣秀吉は「さる」と呼ばれていなかった

豊臣秀吉が主君織田信長に「猿」と呼ばれて喜々として返事をする姿は、創作物によく登場するおなじみのシーンで、本やテレビで見たという方も多いでしょう。 しかし、信長に秀吉がそう呼ばれたという記録は残っていません。 信長が秀吉の妻ねねに送...
人物

ソロバンで加賀百万石、前田利家

加賀藩の藩祖で豊臣政権の五大老の一人である前田利家は、非常に勇猛な武将として知られています。 当時では珍しい182cmの長身を生かし、約6m30cmもある朱塗りの槍を振り回して先陣を切っていたというのですから、凄まじいものです。 織田信...
逸話・名言

黒田如水が初めて知った茶の味

黒田如水(孝高)は、茶の湯が武将たちの間で流行りだした頃、刀も持たずに狭い部屋で人と席を共にするなど不用心きわまりないといって興味を示しませんでした。 ある日のこと、主人である豊臣秀吉から茶の湯に誘われました。他の者であれば断るところ...
逸話・名言

細川幽斎が歌道を始めた理由

細川幽斎は若い頃、歌道は公家や女性のするもので、武士たる者が嗜むものではないといって興味を示しませんでした。 ある戦いでのことです。 幽斎が敵を追っていくと、そこには乗り捨てた馬だけが残っていて人影がありませんでした。 も...
逸話・名言

瓢箪から駒を実演する伊達政宗

大坂冬の陣でのことです。 豊臣側との和睦が成立し、暇になった諸将たちは景品を持ち寄って香合わせをすることにしました。 香合わせとは、数種類の香木を焚き、その種類を当てる遊びのことです。 徳川方として参戦していた伊達政宗もこ...
芸術

「しかみ像」は家康が三方ヶ原の戦い後に描かせたものではなかった

徳川家康が、死を覚悟した戦いの一つに武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いがあります。 室町幕府15代将軍・足利義昭の織田信長討伐令に応じた武田信玄が、遠江国・三河国に大規模な侵攻を開始し、浜松城にも攻めてくると危惧した家康は籠城戦に...
逸話・名言

敵城にお泊り、伊達政宗

関ヶ原の戦いの発端となる会津征伐が行われたときのことです。 家康と上杉の戦いがあることを知った伊達政宗は、秀吉に会津を奪われた因縁から家康側につくことにしました。 しかし、開戦が急に決まったため、大阪にいた政宗はわずか50騎ほどで仙...
逸話・名言

敵兵をあわれむ豊臣秀吉

豊臣秀吉は、人情の厚い武将でした。そんな一面を数々の逸話から見ることができます。 この話もその中の一つです。 織田信長の後継者問題で対立していた豊臣秀吉と柴田勝家による賤ケ岳の戦いでのことです。 余呉湖西岸で、佐久間盛政軍と秀...