戦国時代

合戦・戦争・事件

川中島の戦いが12年も続いたわけ

戦国時代に有名な合戦といえば、必ず挙がるのは川中島の戦いでしょう。 戦国屈指の猛者、武田信玄と上杉謙信の両雄による戦いは今聞いても心躍るものがあります。 しかし、この戦いは延べ12年も続いたのですが、信玄と謙信の戦いとはいえ、そ...
合戦・戦争・事件

武田騎馬隊は本当に存在したのか

騎馬隊というと、鎧兜を身に着けた武士たちが見事な馬にまたがり、武将の号令で一斉に突撃していく。そんなシーンを思い浮かべる方が多いと思います。 しかし、この騎馬隊が本当に存在したのか疑問視されています。 騎馬隊が存在しなかったのではな...
人物

黄金のドクロは盃ではなかった

1574(天正2)年の元旦でのこと。岐阜の稲葉山城では織田信長による盛大な年賀の酒宴が開かれていました。着実に勢力を広げている織田家の酒宴は大いに盛り上がり、信長もたいそう上機嫌でした。 宴もたけなわとなり内輪の宴となった頃、信長は近...
人物

上杉謙信は本当に塩を送ったのか

「敵に塩を送る」ということわざがあります。敵対関係にある相手でも苦しんでいるときには助けてあげるという意味で使われますが、上杉謙信の有名な逸話が由来になっています。 1567(永禄10)年、武田信玄が甲斐・相模・駿河の三国で結ばれてい...
逸話・名言

北条氏康は、幼い頃は臆病者だった!?

生涯の戦いの中で一度として敵に後ろを見せたことがないといわれる北条氏康ですが、子供の頃はとても臆病だったと伝えられています。 北条氏康が12歳の頃、小田原に鉄砲が伝わりました。 さっそく、家臣たちは皆で撃ち方の練習を始めました。...
人物

毛利元就の「三本の矢の教え」は創作だった!?

毛利元就の有名な逸話に「三本の矢の教え」があります。 病床に伏していた元就は、死の間際に三人の息子を呼びました。 長男隆元、次男吉川元春、三男小早川隆景それぞれに一本の矢を渡し、「その矢を折ってみよ」といいました。三人は難なくその矢...
人物

海外にも認められた伊達男、伊達政宗

「伊達男」という言葉があります。派手な衣装を好む者、粋な者といった意味があり、伊達政宗が由来であるといわれていますが、それは誤りです。 もともと「男だて」という言葉があり、男らしく振舞うといった意味で使われていました。そして、男らしい男を...
人物

武田信玄が精神を統一した意外な場所

武田信玄は生涯で70回以上の合戦を行い、負けたのはわずか3回だといわれています。合戦相手の情報を前もって十分に集め、負けない作戦を立てていたからです。そんな信玄が一人で精神を統一する場所が、なんとトイレでした。 トイレといっても私たち...
逸話・名言

信長に愛された「甥っ子」織田信澄

織田信澄の父は、織田信長の実弟・織田信行です。父は信長と家督を争い暗殺されますが、幼少の信澄は祖母の嘆願で命を助けられ、柴田勝家のもとで養育されました。その後、信長の家臣となり、側近として重用されます。 信澄は明智光秀の娘を正室に迎え...
逸話・名言

閻魔大王に手紙を書いた直江兼続

『愛』という字を前立にあしらった兜で有名な直江兼続ですが、「愛」とは程遠い逸話が残っています。 上杉氏の家臣に三宝寺勝蔵という者がおり、下人が罪を犯したので無礼討ちにしました。 するとその親族が、 「無礼討ちにされるほどの...
人物

本能寺の変で信長が最初に謀反を疑った人物は

本能寺で宿泊していた織田信長が、謀反に気付いて最初に名前を挙げたのは意外な人物でした。 明け方午前4時頃に、急にあたりが騒がしくなり目を覚ました信長ですが、信長も小姓衆もこの喧噪を最初は下々の者の喧嘩と思っていました。しかし、...
合戦・戦争・事件

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちはあったのか?

川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われたということはあまりにも有名な話です。 川中島の古戦場には馬上から剣を振り下ろす謙信とそれを軍配団扇で受け止めようとする信玄の銅像が立っています。しかし、この一騎打ちが本当に行われ...
逸話・名言

朝倉の撤退に焦る武田信玄の手紙

武田信玄は、織田・徳川勢を追い詰めるために朝廷を始め、大阪本願寺・朝倉義景・足利義昭などと共に包囲網を展開しました。 しかし、朝倉義景が軍勢を近江から撤退させてしまい、包囲網は崩壊します。 以下は、野田城を陥落させた翌日の元亀4年(1...
人物

明智光秀は「敵は本能寺にあり」と言わなかった

織田信長に反旗を翻した明智光秀が、自ら率いる軍勢に向かって「敵は本能寺にあり」と発し、それを鬨の声として大軍が本能寺に向かっていく。 創作物でよく見かける光景で史実だと思われていましたが、実は後に創作されたものでした。 光秀配下の武...
人物

真田幸村という名の武将はいなかった

真田幸村は大坂の陣で徳川家康を切腹寸前にまで追い詰め、「日本一の兵(つわもの)」として他大名からも高く評価された人物です。そして江戸時代には、娯楽作品に勇猛果敢な活躍が描かれ、庶民の人気を集めました。 ところが、真田幸村が周りから「幸...
逸話・名言

秀吉の妻を気遣う織田信長の手紙

戦国の世に名を轟かせた織田信長には、独裁的なイメージが強くあります。何万もの人を虐殺したり、女性のことも道具にしか思っていない冷酷無比な人間。そう思っている方もいることでしょう。しかし、次に紹介する信長の手紙には、優しさと心配りにあふれてい...