豊臣秀吉は「さる」と呼ばれていなかった

豊臣秀吉が主君織田信長に「猿」と呼ばれて喜々として返事をする姿は、創作物によく登場するおなじみのシーンで、本やテレビで見たという方も多いでしょう。
しかし、信長に秀吉がそう呼ばれたという記録は残っていません。

信長が秀吉の妻ねねに送った手紙には秀吉のことを『はげねずみ』と書いてありました。実際、肖像画を見てもどちらかというと『ねずみ』のほうが近いような気がします。でもどちらにせよカッコイイ呼び名ではありません。

そもそも『さる』と呼ばれるようになったのは、秀吉の父親の遺書に「猿に永楽一貫を遺す」とあったこと、秀吉が信長に仕える前に仕えていた松下之綱が「猿かと思えば人、人かと思えば猿」と秀吉のことを語っていたということに由来します。これを敵や反感を持つものによって広められ定着したものだと思われます。

秀吉に謁見した朝鮮使節は「顔が小さく色黒で猿に似ている」と表現し、宣教師のルイス・フロイスは「身長が低く、醜悪な容貌の持ち主」と書いています。外国の人の目から見ても残念な容姿だったようですね。

そして秀吉本人も天下を統一した後に「予はたしかに醜い顔をしており五体も貧弱だが、予の日本における功績を忘れるでないぞ」と語ったといいいます。

全ての大名を服従させ、美しい女性を思いのままにできる権力と財力を手に入れても容姿へのコンプレックスは消えなかったようです。

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