北条氏康 年表

人物年表

<ほうじょううじやす>

相模国の戦国大名で、後北条氏第3代目当主です。

侵攻してきた扇谷上杉氏を元服直後の初陣にもかかわらず大将として迎え撃ち大勝するなど、若い頃から武勇に優れた名将でした。
あらゆる戦いで決して引くことがなく、氏康の体には無数の傷がありましたが、背中には一つもなかったといいます。

『甲斐山中合戦』、日本三大夜戦として数えられる『河越の戦い』などで戦功を重ね、武田氏、今川氏との間に『甲相駿三国同盟』を結ぶなど、関東での北条氏の地位を確立しました。

内政にも力を注いでおり、領内の検地や税制改革を行って領民の負担を軽減することに尽力し、また、誰もが不法を訴えることができるように目安箱を設置するなど、領民の信頼を得る善政をしきました。

西暦年齢出来事
1515年1歳後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。幼名は伊豆千代丸。
1529年15歳元服。
1530年16歳初陣の小沢原の戦いにて上杉朝興と戦い大勝する。
1541年27歳父・氏綱の死去により家督を継ぐ。
1546年32歳山内・扇谷上杉が連携して河越城を包囲。これを夜襲にて破る。河越城の戦い
1550年36歳公事赦免令を発令する。税制改革と目安箱の設置を行う。
1554年40歳武田・今川と同盟関係を結ぶ。甲相駿三国同盟
1559年45歳息子の氏政に家督を譲って隠居する。
1561年47歳上杉謙信が10万余の兵で小田原城を包囲。これに籠城にて耐え、謙信は撤退。
1566年52歳これ以降は実質的にも隠居し、息子たちに戦を任せるようになる。
1571年57歳病のため、小田原城で没する。

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